軍師見習いのつぶやき

高校受験、社会情勢、その他日々の雑感など

年の瀬の墓参り

皆さん、こんにちは。

いつも「軍師見習いのつぶやき」を読んでくださり、ありがとうございます。

 

久し振りの投稿です。

 

 

今日12/27の午後お休みをいただいて、都内にある曾祖母の墓参りに家族で行ってきました。

こんな年の瀬ですが、家族の予定が今日しか合わなかったもので・・・

 

時々そのお墓には訪れていますが、今回は、明確なお願い事があってのお墓参りでした。

 

 

それは「母との確執解消のお願い」です。

 

 

以前から母とのトラブルはありましたが、昨年の私の入院・手術に端を発し、母との確執が本格化しました。

それ以来、1年以上、私は母に会っていません。

 

私は、自分の落ち度については素直に認め謝罪しました。それ以外の点については、しっかり事情を説明して理解を求めました。

 

しかし、母は自らの落ち度には目もくれず、全面的に私が悪いと主張し、私に対し追加の、そして全面的な謝罪を求めています。

 

私が若い頃は、事を丸く治めるために、本来謝罪すべき限度を超えて謝罪したこともありました。

しかし、今となっては、それが「自分落ち度を棚に上げて、私に全ての責任を被せて謝罪させる」ことを母の中で正当化させてしまったかもしれないと後悔しています。

 

思い返してみれば、母は、いつも自分の落ち度を認めず、他人のせいにばかりして、自分を正当化してきたように思います。

隣人トラブル、私の結婚式でのトラブル・・・

 

 

今回の私の入院・手術は、私の心身の危機でした。

 

そんなときでも、自分の落ち度を認めず、全面的に私を悪者にしてヒステリックに罵倒し、謝罪を求める姿勢に辟易としています。

 

いい歳をした息子を自分の所有物であるかのように扱い、自分(の考え)に服従させようとする母の姿勢を受け入れるつもりはありません。

 

ただ、このままというのも良くないかも、と考えて、会っていない間、何度か手紙を送りました。

私の考えを丁寧に説明し、そして双方が飲める解決策を提案しました。

 

しかし、母は自分の考えと正当性を主張するばかりで進展は、ありません。

 

そこで、母が幼少期から本当にお世話になった曾祖母の墓参りに行き、助けを求めることにしました。私も幼少期に、随分かわいがってもらった大好きな曾祖母です。

神頼みならぬ「仏頼み」です。

(もちろん祖父母の墓参りにも行きました。少々の効果はあったようですが、大きな改善には至っていません。)

 

 

先ほど、「このままというのも良くない」とは書きましたが、一方で、母と関わらなくて済んでいることに快適さを感じているのも事実です。

変に気を使う必要もないですし、不合理に悪者にされることもありませんし、ヒステリックに罵倒されることもないわけですから・・・

 

 

「仏頼み」の効果は、果たしてあるのか?

あまり期待せずに待ちたいと思います。

 

 

年末に後味の悪い記事で恐縮です。

今回も読んでくださり、ありがとうございます!

 

お墓参りの後に寄ったラーメン屋さんの、とっても美味しいつけ麺の写真です。

後味の悪さが少しでも中和されれば・・・